沸騰冷水

煮え滾った熱い思いを氷のように冷たく見つめなおしたい

台所に寝ることの効果

もしかしたら伝わらないかもしれない。いつか見返しても理解できないかもしれない。

でも、今すごく不思議な気持ちになってるからこれをできる限り言葉にしてみようと思う。

俺は今、というかここ数日、台所に寝てる。

台所に寝てるといっても、雑魚寝ではなくて、安い布団を敷いて寝てる。

今週は、出張で自宅から離れて本社の方へ来てるんだ。

本当なら出張者は、社員寮という名の一戸建て住宅の一室に泊まるんだが、その唯一の一室へ後輩が先に来てた。

後輩といってもグループ会社の一つ年下の子で、こいつがまた頑張り屋で、堅実家で、いいやつなんだけど、こういう奴に限って、仕事が忙しいんだよな。

それは置いといて、唯一宿泊できる場所が埋まってたわけだ。それを俺は知らなかった。

寮はその一戸建てと、築30年くらいの4戸の団地っぽい造りの鉄筋のアパートで、グループ会社全体で使ってる。

アパートの方は全部部屋が埋まっていて、その内の一部屋は一緒に出張に来た同僚の営業マンの第二の家みたいになってる。

アパートは、造りは違えど一戸につき二部屋あって、同僚の相部屋はこれまた今年二十歳になったかわいい後輩が住んでいる。

で、出張者用の部屋では、先に来ていた後輩が寝れない勢いで仕事をしてたんだ。もう追い込まれてる、ヤバイ。と。

そんな状態なので、こりゃ邪魔しちゃ可哀想だと、アパートの方の同僚の部屋の台所に寝ることにした。 全然綺麗じゃないけど、水場くらいしか使われてないから油は出てないのが救いかな。布団に油つかないし。

他の場所あるだろって思うかもしれないけど、会社に近い場所で他に思いつかなかったし、ホテルに泊まるなんて許可出ないしね。

布団は泊まって二日目に届いたから、初日は同僚から少し分けてもらった。ありがとう。

ちなみに、時間も早くないし、みんなのプライベートもあるから、同僚、後輩で飲みながら雑魚寝っていう雰囲気じゃない。仕事もあるし。

一人、コンビニで買った安いパック酒をストローで吸いながら、音楽を聴くでもなく、飯を食うでもなく、静かに、冷蔵庫の音と、たまに聞こえる部屋からの生活音を受けながら天上見てるしかない感じ。

イスもテーブルもなく、四畳半もないような台所の地べたに座ってるか、布団敷いて寝るしかないのよ。

以前も布団が用意されてなかったり、いろいろあって、この台所に寝るのは初めてじゃなかった。

その度に、「俺って会社に歓迎されてないのかなー」とか「俺の人生ってなんなんだろう?」って気持ちがどんどん落ち込んで、寝る場所に呼応するように、ひもじい感情が湧いてきてた。

でも、今回は何か違った。

辛くないんだ。これが。

ただ単に慣れただけかもしれない。自暴自棄になっているだけかもしれない。思考停止や、麻痺してるのかも。

やっぱり床が固すぎるってのは否めないんで、日中ちょっとしんどいのはあるけど、気持ちの萎えとかを感じない。

むしろ逆だった。

「今日も寝る場所があって良かった。ありがとう。」みたいな気持ちになった。

会社にはもちろん感謝の意なんて無い。呼ぶなら泊まる場所くらいどうにかするか金出せよ。

今日で台所に寝るのは三日目だけど、未だに辛さはない。

何が違うんだろう?

事実は変わらないのに。

俺の捉え方が変わったのは間違いなさそうだ。

俺の中で「生活する」といことが「生きている」だけで良しとするレベルまで下がったから耐えられるようになったのか?

それとも、本当に何か大きなものに感謝してる、できているような強さを手に入れたから、苦じゃないのか?

どちらにしてもまるで禅行みたいだ。

ホテルじゃなきゃ嫌だ。襖じゃプライベートが無いのと同じ。みたいなことにはならないのは良いことか悪いことか。

それがこの先生きて行くのに必要か疑問だ。

ただ、この捉え方、考え方が変わるプロセスをもう少し理解できれば、もっと柔軟に生きていけるような気がする。